不登校第1世代から不登校第5世代まで

 不登校の当事者が自身の不登校という状態をどう捉えているかによって、不登校を世代区分してみました。たくさん貴重なご意見をいただき、少しずつ修正を加えています。コメントお待ちしております!

不登校第1世代【就学より家業手伝いや住み込み奉公に出された世代】
 戦後の混乱期、例えば(保坂亨、2000)によると、1949 年度においては、文部省等の調査によると東京都と高知県を除いて小学校ではおよそ 40 万人(出現率 4.15%)、中学校ではおよそ 34 万人(出現率 7.68%)合計 74 万人、東京都•高知県を含める有に 100 万人を越える長期欠席児童生徒(年間30 日以上学校を休んだもの)が存在したことになります。この世代の長欠の第一の要因として(山田哲也、2014)によると「経済的窮乏」すなわち貧困の問題と「家族による人づくり」が学校教育とは異なる自立性を有していたこと、すなわち「農業や漁業などの家業を営む家族には、学校よりも家の手伝いが大切、跡継ぎを一人前に育てるには早くから家業に従事させるほうが良いなどの家族独自の価値観と子育て方針のもとで、あえて子どもを欠席させる風習が残っていた」と言います。つまり第1世代の不登校は、現在、日本で用いられている「不登校」とは本質的に異なる事情での不登校と言えます。

不登校第2世代【治療対象とされた世代】
 その後、50年代の高度経済成長期を迎えるとともに、第1世代のような経済的理由等により学校へ行けない、親が行かせないという事象は影を潜め、学校ぎらいなどの精神的な要因による不登校が多くなっていきました。この時代は登校拒否と呼ばれ、内科あるいは精神科の治療対象とみなされることが多かったと思われます。このような第2世代の不登校は1960年代から1970年代にかけて急速に数を増やすことになります。この時代の不登校は、周囲はもとより親からも理解されず、本人が家庭内暴力や精神疾患に追い込まれるケースが多くみられました。のちにフリースクールの草分けである東京シューレを設立する奥地圭子も、自身の子どもが第2世代の不登校児であり、親子ともに苦しみ続けた経験を経て、20年以上務めた小学校教員を退職し、不登校の子どもたちが安心して育っていける居場所として東京シューレを創設するに至ります。
 この時代には非行に走る一部の子ども達が学校をさぼるという形での不登校ケースも散見されました。

不登校第3世代【不登校支援活動の黎明期、カオスの世代】
 その後1984 年に「登校拒否を考える会」(東京、奥地圭子ら)、1986 年に「登校拒否を克服する会」(大阪)が結成され、不登校は病気ではない。本人や親のパーソナリティー以外の要因について考え、学校復帰のみが正義であるという考え方を改める視点から、不登校を捉える運動がはじまりました。不登校の子ども達の居場所として、全国的にフリースクールやフリースペースがつくられ、保護者を支えるための親の会の発足などが広がっていきます。
 こうした民間の運動の高まりを受けて、文科省は1992 年に「登校拒否はどの児童生徒にも起こりうる」などと述べた「登校拒否(不登校)問題についてー児童生徒の『心の居場所』づくりを目指してー」を 出しました。そして適応指導教室等(フリースクール等を含む)への通所も校長判断で出席扱いとすることも通知されました。この頃から登校拒否という言葉にかわって、不登校という言葉が使われ始めます。第3世代の不登校の特徴は、あくまでも本人や家族に原因があるとされ、病気であるとされた第2世代不登校の反動として起こったフリースクール運動やフリースペース運動、親の会などの草の根の活動によって、文科省をも「登校拒否はどの児童生徒にも起こりうる」という見解を示すに至らせた時代として捉えたいと思います。つまり少しずつ学校外の学び舎で学ぶという選択肢も、憲法で保障された普通教育を受ける権利の行使の仕方としてありなんだという世論を広めようという活動が、学校へ行かないという選択が認められない世の中にあって、不登校の保護者が苦しみの中から光を求めて、世論を変えよう、支え合おうと自ら立ち上がりはじめた時代と言えるでしょう。
 しかしこの世代の子ども達の多くは、学校に行くのは当たり前、それができなくなった私はダメな人間という谷底に一度突き落とされた挙句に、手探りで解決の糸口を見つけ、長い時間をかけて傷を癒して自分の生きる道を見つけなければいけなかった世代と言えるでしょう。あるいは不幸にも学校教育絶対主義に押しつぶされた世代と言えるでしょうか。

不登校第4世代【不登校の経験、生き様を発信する世代】
 2000年以降、SNSの利用が一般ユーザーに広く普及しはじめると、自身の不登校経験や不登校の苦難を乗り越えた体験などを自ら発信し、不登校に対する偏見を払拭したり、同じく不登校で苦しんでいる人々の支えになろうとする人々が出現しはじめました。それまでは不登校の体験を広く発信することないというのが、当事者の選択としては一般的でした。
 しかし様々な個人的な経験やそこから得た教訓・生き様などが、SNSで共感を得る、そして、発信者自身の自信やアイデンティティの確立につながり、同じような悩みを抱える人の助けになるケースが、増えていきました。なかにはそうした発信によって、インフルエンサーとなり、そうした言動によって生計を得たり、将来を切り開く人脈開拓につながるという現象も散見されるようになりました。こうした発信をおこなう人々を不登校第4世代と呼びたいと思います。

不登校第5世代【積極的不登校の世代】
 これまでは学校へ行きたくなくても、頑張って頑張って、最終的に心身ともにボロボロになって、ついに学校へ行けなくなり、つぎの段階として、フリースクールへ通い始めるケースがほとんどでした。しかし、最近では我が子が不登校になる以前から、公立学校以外にも、色々なタイプのフリースクール等があり、子どもの自主性を重んじる多様な学び舎が存在することを知る保護者、あるいはそういうオルタナティブな教育に共感する保護者が増えてきました。また2016年の教育機会確保法制定あたりから、オルタナティブスクールやフリースクールを開設しようとする人々も急速に増えてきています。
 そして、学校へ入学することなしに、あるいは不登校という危機的状況に陥る前に、多様な学び舎へ転校する家庭が増えてきました。こうした子ども達はもはや不登校とは言えません。登校したくてもできないというネガティブな不登校ではなく、自ら積極的に学校外の教育を選択する子ども達です。また学校自体にネガティブな感情も抱くことなく、オルタナティブ教育を選択していますので、週に何日か学校へ行ったり、みんなと楽しく過ごせそうな行事があるときだけ、学校へ行ったりして、学校と学校外とのハイブリットな学び方を当たり前のようにしているケースもあります。
 今後もこうした不登校第5世代の子ども達は増え続けていくことでしょう。第4世代、第5世代の不登校の子どもたちは「伝統的な学校へ行かない」ということをポジティブに捉え直し、あるいは、はじめからネガティブ経験を経ていないことに最大の特徴があり、そういう意味ではこの世代の不登校は積極的不登校とも言えるでしょうか。
 実はこうした積極的不登校の子ども達は今になって出現してきた訳ではありません。シュタイナースクールやきのくに子どもの村学園などのオルタナティブスクールは30年近く前から存在しています。きのくに子どもの村は、一条校なのでオルタナティブスクールでありながら、れっきとした私立学校です。ごく少数派であったオルタナティブスクールは、今、全国的にも急速に増え続けているし、今後も公立学校の教育スタイルにも影響を与えながら、いずれは財政支援などの公的な市民権を得ていくことでしょう。

まとめ
 現代のようにある程度安定した経済・社会情勢では、不登校第1世代の不登校状態におかれることは、すでに犯罪であり、とても稀なことです。第2世代の不登校は、非行型を除いて、はじめから病気あるいは異常と決めつけられた子ども達ですが(学校からさえも)こうした捉え方をされてしまうケースも現在では、ほぼなくなってきたと言えます。
 現在では不登校は、なにか複合的な要因が重なってしまった際に生じる現象であり「不登校は誰にでも起こり得ることである」という認識が一般化しているのではないでしょうか。したがって、今、学校教育における課題のひとつとなっている不登校という現象は第3世代から第5世代の不登校が主流であると考えます。
 今回、類型化を試みた第1世代から第5世代という各タイプは、ある程度、時代ともに変化してきていることは確かです。ただし、2000年以降の不登校児童生徒はすべて第4世代という訳ではなく、2000年以降、現在においても第3世代の厳しい状況に置かれた人もいれば、第5世代をひた走る人もいるという捉えをしていただければと思います。つまり不登校の当事者が自身の不登校という状態をどう捉えているかによって、世代区分できるものと考えています。
 そして、いずれはすべての子どもが第5世代にバージョンUPすることを願っています。憲法で保障される普通教育を受ける権利を行使する選択肢が複数あって(公立学校、オルタナティブスクール、ホームエデュケーションetc)不登校の苦しみを経験することなく、自分に合った学び方によって義務教育が受けられるような社会になることを。

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